中村地平生誕百年記念行事

 主催:中村地平生誕百年記念実行委員会  協賛企業:宮崎太陽銀行
  後援:宮崎県教育委員会、宮崎日日新聞社、朝日新聞社、毎日新聞社
      読売新聞西部本社、西日本新聞社、NHK宮崎放送局、MRT宮崎放送
      UMKテレビ宮崎、MCN宮崎ケーブルテレビ

 今年2008年は中村地平生誕からちょうど100年の節目の年です。
 ここでは、予定している記念行事と、中村地平の歩み(略年譜)をご紹介します。


地域情報展「中村地平展」
  期日:10月28日(土)~11月9日(日)
  場所:宮崎県立図書館

中村地平生誕百年記念献花祭
 日時:平成20年11月1日(土)10:00~11:30
  場所:宮崎市 市民の森公園 中村地平文学碑前


中村地平生誕百年記念講演会

   (入場無料・ご自由に参加ください)

  日時:平成20年11月1日(土)13:30~17:00
  場所:宮崎県立図書館


  ・作家中村地平の思い出(森千枝) 
  ・『河童の遠征』復刻出版とその意味(宮崎子ども文庫連絡会 池辺宣子)
  ・県立図書館長中村地平について(元図書館職員による座談会)
   (矢野淑子、矢野勝敏、原田解氏、矢野一誠)
  ・銀行経営者としての中村地平について(菊池銑一郎)
  ・生誕100年を迎える中村地平文学の評価について(岡林稔)

  【記念行事に関するお問い合わせ】
  〒889-2153宮崎市学園木花台南2-4-7 岡林稔
  TEL/FAX 0985-58-4767   E-mail.:laurie-titan@miyazaki-catv.ne.jp




中村地平略年譜

1908年 宮崎市(大淀町=現市役所庁舎の対岸)で父常三郎、
   母仲の次男として生まれる。本名中村治兵衛。

1920年 大淀小学校卒業・旧制宮崎中学校入学

1926年 台北高等学校入学

1930年 東京帝国大学文学部美術史科入学

1932年 「熱帯柳の種子」(『作品』)
   「蛍」(作)
   「廃港淡水」(『四人』)
   「白雲はなぜ窪地のうえに靉いているか」(四)

1933年 「南海の紀」(四)
   「きつつき」(作)(この年大学院へ進学)

1934年 「旅さきにて」(『行動』)
    
(この年大学院中退・都新聞入社)

1935年 「失踪」(行)
   「太宰治へ」(『日本浪蔓派』)
   「白い雲と黒い牛」(作)

1936年 「イルゼとその母」(浪)
   「悪夢」(浪)
   (都新聞退社・創作に専念)

1937年 「土龍どんもぽつくり」(浪)
   (召集令状。都城陸軍歩兵
23連隊入隊するが、
    胃病のため即日帰郷)

1938年 「南方郵信」(『文学界』)
   「陽なた丘の少女」(『新潮』)

1939年 「蕃界の女」(『文藝』)
   「霧の蕃社」(『文学界』
12月号)
   (この年
2月末取材のため訪台)

1940年 「太陽征伐」(『知性』)
   「長耳国漂流記」(『知性』
12月号〜翌年5月号)

1941年 『台湾小説集』(墨水書房)
   
12月〜翌年12月まで徴用でマレー半島・
   シンガポールに派遣される。

1942年 『あをば若葉』(博文館)(執筆は前の年)

1943年 「馬来人サーラム」(『新潮』)(2月森玲子と結婚)

1944年 『日向』(小山書店・新風土記叢書)
   『河童の遠征』(全国書房・新民話叢書)(宮崎市に疎開)

1945年 日向日日新聞社入社。同紙上で「明るい国」を翌年4月まで連載。

1947年 宮崎県立図書館長就任(57年まで)

1948年 『義妹』(小山書房)

1950年 「八年間」(『群像』)

1955年 「山の中の古い池」(群)、「告別式前後」(『世界』)

1957年 父親常三郎が社長を勤める宮崎相互銀行取締役就任。

1961年 宮崎相互銀行(現在宮崎太陽銀行)取締役社長就任。
   
翌年健康上の理由で辞任。

1963年 226日心臓麻痺で病没

  

旧台北高等学校・現台湾師範大学(写真はウィキペディアより)

                         ※この年譜は岡林稔が作成いたしました。